池田氏のチョムスキー叩き叩きについて。男はみんな珍走団

生産性に関する自己ブログのコメント欄で語るに落ちていた後、引き続きなぜかチョムスキー批判を突っ込まれていた池田氏

廃星blog:池田氏のその後

池田氏は、単に「いつでもバリバリ、アクセルベタ踏み!!ブレーキ?何それw」系、というだけだと思う。坊主憎けりゃ袈裟まで、と言うか。で、その愚にこの人自身が陥っている。この人は、池田氏が書いた↓この部分を引用して、

付言しておくと、私は言語学が意味ないといってるわけじゃありませんよ。現状の言語学に、それに期待されている中身がないというだけです。これも経済学と同じで、バカにされてもしょうがない面はあります。

http://rblog-ent.japan.cnet.com/tamon/2007/02/post_91a9.html

両方に共通するのは、非自然科学の中で比較的「法則性」が強く、数学的な分析に乗りやすいと思われていることです。事実、一定レベルの数学的定式化は可能です。しかし、それは見かけ上のことで、実際には分析の単位となっている人間の行動は自然科学の対象より10桁ぐらい複雑性が高いので、その数学的記述は近似的なものでしかありえないのです。

新古典派チョムスキー派も、そういう複雑性を捨象して、アルゴリズム的に記述できる部分だけを取り出して、一見エレガントな理論をつくりました。しかし実際に使ってみると、こういう「美学的」につくられた理論は、例外処理が膨大になって役に立たない。やはり複雑性そのものにちゃんと取り組まないとだめなのです。

池田信夫 blog: 賃金格差の拡大が必要だ の池田氏コメント

これを最低の逃げとしてめちゃくちゃに叩いてる。なんで?

ここで言ってること自体は別に至極まっとうじゃないの*1


そうじゃなくて、この議論の問題は、ここでもまた議論が噛み合っていない事。
池田氏は、

言語を機械的アルゴリズムに帰着させようという生成文法のアプローチは、計算機科学として役に立たない

廃星blog:池田氏のその後

と言っている。これは完全な誤り。言い訳は不可能。


しかし、これのどこに誤りがあるかと言えば、チョムスキーが役立つor役立たないではなく、「言語」という言葉が指すモノ。


計算機科学方面では、言語と言えばプログラミング言語。正確には、言語とは、「自然言語プログラミング言語」。前者は計算機科学方面でも、自然言語屋さんとその界隈しか関わらないけど、後者はどの分野でも少なくとも実装の面で必ず直接的間接的にお世話になる。で、チョムスキーは、自然言語処理技術というよりプログラミング言語(データ記述なども含む)方面の基礎理論として、情報系の教育では必ず行われる。


これを、門外漢の池田氏は、計算機科学方面でも言語=自然言語という思い込みで語ったため、失言となってしまっただけ。池田氏の発言の誤りに気付く人は、落ち着けばその位直ぐに判るはず。


しかし、池田氏も批判者も、一向にブレーキは踏まないし、アクセルも緩めない。当然正しい道に曲がることは出来ない。そして空しい議論が空回りするだけ。


まあ、爆走は快感だからね。自分も男だから、それは判らなくもない。みんな珍走を嗤えないね。

*1:もちろん、10桁ってどういう指標値?とか、複雑性って意味違くね?とかはありますが、それは揚げ足取り