失敗の公開は重要だけど、それをどうしよう。

git移行のきっかけが、SVNリポジトリの崩壊、瓦解、というのがほほえましくもあり、ツッコミどころでもあり。

はてぶのコメントで http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/rx7/20090212/p1 なんかで、エラソーに言っている人がいるけど、あんたはエライよ。

http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20090215#p1

吉岡御大にダメ出し喰らった!/(^o^)\
自分のブコメ

r-west RAID1ひとつ程度でバックアップ取らないとか、度胸も根性もさすがパネェっす!/つか、備えるべき厄災はHDDハード障害だけじゃないぜ?リポ管理作業で手が滑ったりsvnがバグで発狂したり誰かがキレてrm -rf /repoしたり… 2009/02/13

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/rx7/20090212/p1

うああぁ、醜悪っ!!/(^o^)\

自分の失敗をつつみかくさづ言うということの価値をなんでわからないんだろうね。失敗によって、何を学んだか、何を学ばなかったかということが失敗したことより遥かに重要なのに

http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20090215

うああぁ、まったくその通り!!


ただ、このブコメを書くとき何にも考えなかったわけでもない。というか、言われているような事もそのときの脳内では掠ってはいる。

  • うちだったら、(迷惑を掛けたお客様以外に)こんな身内の恥を晒す事はあり得ないなぁ。
  • これを公開するなんて、さすがオープンなはてなだなぁ。(←この辺、掠ってると思う)
  • しかし、事業の生命線であるSubversionなりなんなりソースコードリポジトリをバックアップしないなんて、ありえないよなぁ。
  • (ネタ化のためなんだろうけど)「\(^o^)/オワタ」とか言ってるレベルの話じゃないよなぁ。
  • 結果オーライで、反省も注意喚起もないなぁ。こんな軽いノリで済ましてたらみんな大変だぞ、それ。(←この辺も掠ってると思う)
  • これはちゃんと突っ込むべきだろう。

てな感じ。せっかくオープンにしたのに非難すると言う事に、逡巡が微塵もなかったわけでもない。でも叩いた。


開発プロセスアジャイルとかウォーターフォールとかなんとか、Web系かプロダクト系かSI系かそんなこと関係なく、ソースコードリポジトリのバックアップを取らないというのは、無責任過ぎる。これはいわば自分の良心でもある。これを突っ込まずに、わっはっは、と笑ってスルーしたとしたら、それはそれで失敗情報の公開には与するかも知れないけど、それはそれで、自分の良心に従っている気はしない。では、どうすれば良かったんだろう?


いきなり掲げたのは、1世紀近くにわたって読み継がれている定番本だ(タイトルが仰々しいが自分のような小市民にも普通に役立つ)。自分も参考に読んだが、内容は、議論をさけ、誤りを指摘しないとか、穏やかに信頼関係を結ぶ事の重要さが説かれていて一般の評価は高い。吉岡御大は、記事を読んでいてもまさにこの方向にぴったりのイメージだ*1。しかし、相手の主張が有害であり看過できない場合に、誤りを指摘せずにどうすればいいのだろう。大局的には信頼関係を結べればその方が重要なのだろうけど、あっちはスターPG、こっちは泡沫ブックマーカーだし、なにより今を置いてその問題を扱う事は出来ない。
ハッカーとして尊敬の対象であり人生の先輩でもある御大は、そう言うときにどうしているのか、非常に知りたい気持ちでいっぱいになった。

追記 返事貰った\(^o^)/

hyoshiok コミュニケーション 1 正解はないと思う。一緒に考えよう。 2009/02/15

http://d.hatena.ne.jp/katzchang/20090216/p1

テケトーな1エントリを書いた位で答えを貰える安い問題ではなかった\(^o^)/

おまけ 吉岡さんとのotsuneさんのやりとり

id:otsuneがこの件で吉岡さんに精力的な反論をしていたのを、漠然と共感と違和感の両方を持って眺めてたけど、

otsune 2009/02/16 18:23
正しいことを言われたから凹むだの上から目線だのやる気を失うだってのが吉岡さんのコメントで書いた「昭和の風習」だってこと。
パワハラによって上下関係と命令系統を叩き込む風習だよ。
んで「バカなことしましたが、バカと言わないでください」ってのは、そのパワハラがあって当然だという風習を前提にしてるの。
わかるかな?

http://d.hatena.ne.jp/katzchang/20090216/p1

このコメントを読んで、得心した。


完全フラットな言論空間。そこには上も下もなにもなく、批評はただ批評として存在する。自分の共感はそこにあった。


だけど、上で掲げたような「ヌルい」本が1世紀近くにも渡って売れ続け、今日現在でもAmazonランキング二桁という事実からして、その理想郷は遙か遠く、現状は言論マッチョ圏のローカル文化であって、これからも大半の人はモヒカンの投げる手斧から「ひぃぃぃぃ!」つって逃げ惑う村人であり続けるんじゃないか。とすれば、批評の対象となる村人の事例そのものが、妥当な批評を受ける事自体を負のインセンティブとして現れてこなくなる、という吉岡さんのというのは現在の現実に対してな有効な心配だと思った。一方、批評できない事例に存在意義を認めなければ、その心配には意味がない訳だけど。このやりとりは、それについての共通認識がないために、片方は理想郷を前提とし、他方は現状の現実だけを前提として話しているため、噛み合わなかったんだと思う。


で、今回の件は、はてな自体が言論マッチョ圏の中か外かってのがよくわからないけど。

*1:今回の記事は人に駄目出ししてるが例外中の例外だと思う