Second Lifeが抱かせた、言い様のない期待感の向こう

さすがユカタン、スバッと書いてくれた。思い出してみれば、SLが話題に出始めた頃、「Habitat*1が3Dになっただけじゃん?」とスルーしていた。しかし、あれよあれよという間にそれ系の誰もが認める寵児であるかの様になっていき、自分も最初の直感なんて忘れて、わざわざビデオカードを新調してまでプレイ(?)してみていた。


感想「…。」


まさに、

 (3)までのハードルを乗り越え、やっと操作法を習得したとしても、今度は「何をしていいか分からない」という壁にぶち当たる。

Second Life“不”人気、7つの理由

この壁にぶち当たっていた。


そして、俺のやり込みが足りないのか?俺が悪いのか?みたいな気でいた。普段から普通のMMOもやらず、3Dモデリングどころかフォトショもやらない。アバター以前に、自分のファッションにも興味がない。そんな事に関係なく、もっと普遍的な何かがあるはずだ、という妄想に囚われていた。


アホだ。


人は、自分と反対の意見については問題点をバリバリ見付けるが、賛同する意見については非常に見逃しやすい、という事が実証されてるらしいが…。


CGMといっても、ブログならとりあえず誰でも何か書けるけど、3Dモデリングは敷居が高い。それに、架空世界内の造形やビジュアルに、人気ブログや人気動画以上の面白さを感じる人はそんなに多くはないんじゃないか。それらは気軽に数クリックで読んだり視聴できるわけで。ブログやSNSやチャットでも、コミュニケーションは楽しめる。Habitatも今でも名前を変えて存続してるらしい。


First Lifeは、楽しい事もつまらない事も全てひっくるめて、無限の豊穣さの中にある。単にもうひとつ別の世界があるだけじゃ、無限の計算パワーを持つ現実には勝てない。だから面白いとこだけ切り取って、あるいは捏造して、映画やテレビや本を作り、ブログを書き、ゲームを開発する。これらに勝てるだけの濃縮された世界が必要だ。ワクワクして最初にログインしたときに期待していたのは、現実を超越したエキサイティングな「社会」だ。


カタンの提案ももちろん重要だけど、もっと根本的に別の面白さを導入しないと、今の期待感に応えることは出来ないと思う。下手したら1年後には「ああ、あったねぇ」なんて事にもなりかねない。


3Dとリアルタイムな空間共有、ユーザによるモノ作り。これがSLの根本的な武器だ。ユーザが作れるのは結局ハリボテに過ぎない。これがただのガラクタの山になるのか、エキサイティングなもうひとつの人生のアクセサリになるのか。練り込んだゲームバランス設計で社会を発展させ何かを創発させるのか、あるいはもっと新たな武器で切り込むのか、この記事を読むまでの期待感を越える変貌を期待したい。

*1:富士通パソ通時代からやっているネット仮想世界。3Dではないが仮想世界の中でアバターが交流する。